茶の湯たび
“Chanoyu” trip.
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4能楽 茶道の発祥の経緯
能も茶の湯も共に室町時代に奈良に極めてゆかり深い芸術芸能である。
能楽の起源の詳細は不明であるが、そもそも7世紀に大陸より伝わった伎楽や奈良時代に唐から入った散楽を起源に持つと考えられる。
散楽が日本土着の芸能と融合し猿楽(申楽)となり、民衆の中で浸透し寺社での奉納芸を専らにした。
中世には興福寺や春日社など有力な寺社は専属の猿楽の一座を有するようになり大和猿楽四座と称される。
その一つ結崎座に属していたのがのちに能楽の祖と言われ足利義満にその芸を深く愛された観阿弥世阿弥の親子である。
その他の座もその後現在の能楽の代表的な流派である金剛流、宝生流、金春流の起源となった。
茶の湯もまた8世紀に唐より平城京に伝わった喫茶の風習を起源にもつ。
さらに13世紀ごろ禅と共に抹茶法が唐物の茶道具とともに請来され、武家や知識人の心を掴んだ。
室町時代足利将軍家は唐物の茶道具を並べた会所の茶を好んだが、一方庶民の間でも寺社の門前などで一服一銭で抹茶を楽しむような風習が流行していた。
それらを統合し独自の美意識で簡素で見どころのある道具を数少なく用い、亭主が客の目の前で茶を点てもてなす「わび茶」の形を創始したのが奈良の浄土僧であり遁世者であった珠光であり、その流れを大成したのが奈良にもほど近い堺に生まれた千利休である。