茶の湯たび
“Chanoyu” trip.
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5 大乗院門跡について
奈良で最も有力な仏教寺院であった興福寺、その別当(住職)が住まいする特別な塔頭(山内寺院)として1087年に創建され、同寺塔頭一乗院と共に皇族や摂関家、将軍家の子息が代々院主を勤める門跡寺院として栄え、いわば奈良の宗教と政治の中枢的な存在であった。
15世紀半ば、当時の院主尋尊が徳政一揆による荒廃からの復興を目的に御殿の再建と作庭を行った。
尋尊は復興にあたり大きな敷地を確保するために現在の地を選んだといわれており、中金堂や五重塔などの興福寺の主格を構成するエリアから少し離れた場所に位置している。
明治の廃仏毀釈の混乱で廃絶、敷地は現在奈良ホテルが管理し、庭園のみ一部復興され現在は旧大乗院庭園として国の名勝となっている。